働くなんてこと誰が始めた???

すやかです!🌞

卒論でキャリアを取り上げ勉強する中、アルバイトの出勤頻度が高まってきて友達と愚痴を言いながら「いったい誰が働くなんてこと(労働)始めたんや」という話になりました。労働の起源となると、私たちも学んだ聖書の中のお話までさかのぼるようです。

 

労働の起源はエデンの園、神がアダムとエバに「労働という使命」を与えたことです。この時は(今の私のように)労働=苦しいもの、ではありませんでした。生きるために必要な食べ物なんかは既に神から与えられていたので、生きるために働くのではなく、大地に仕える労働は喜びであったようです。しかし「楽園からの追放」、アダムとエバの罪(木の実食べるやつ)によって大地は呪われ、食べ物を容易に与えられなくなり、労働は苦しみであり苦役となりました。

 

宗教改革でルターは、修道院の中だけではなく世俗の職業にも召命があるとし、神から与えられた場所で与えられた使命・義務をはたすことが神から与えられた「天職」であると主張しました。聖書では仕事について、人々の主導権を握るのは神、自分で選んだつもりでもそれは気づかぬうちに導かれ与えられた使命であると理解します。

 

このことを調べるにあたって読んだ本で著者は「信仰によって神に命じられた目的のために働いている、というはっきりした自覚を持つならば、人はたとえそれが他人から見てささいな仕事であっても働くことに意義と喜びを見出すことができるであろう主張しています。前半部分、どういう自覚を持つかに関しては人それぞれではないかと感じますが、後半の青字下線部分に関してたしかにそうだと思いました。神に与えられた使命だとするか、お金のためか、自分の成長のためか…何にせよ自分の中で「このために働いている」という自覚をはっきり持つことは、働くことに意義を与え、充実感や達成感に繋がるのではないかと考えます。

 

参考・引用

山口 憲二(2008)『キャリアデザインの多元的探求 職業観・勤労観の基礎から考えるキャリア教育論』現代図書