化粧は時代を映し出す?

こんばんは、ゆめです。

今回は、トップヘアメイクアーティストの鈴木節子さんと資生堂のコラムを取り上げたいと思います!

時代背景とともに化粧がどのように変わっているのか、また現在のコロナ禍でどのように化粧が変わっていかのかについてまとめたいと思います!

 

1920年代〜1950年代/西洋文化・銀幕女優への憧憬】

 1920年代は、細いタレ眉・目尻にシャドーを入れたタレ目・薄いおちょぼ口といった日本の伝統的な化粧に似ていたそうです。1930年代には、アーチ型のつり眉・アウトカーブで大きめに書いた唇へと変化し、戦後の1950年代には、意志の強そうな角のある太眉・アイラインで吊り上げた目元が流行し、復興期の日本の力強さが読み取れるそうです。

 

【1960年代〜1970年代/西洋人顔への憧憬と模倣】

 1960年代〜1970年代前半は、日本人が本格的に世界を意識し始めた時代で、白・黒・赤の伝統的な3原色から脱却し、淡色が登場しました。上瞼の二重ラインやつけまつ毛など、立体的な西洋人のようなメイクが流行したそうです。1970年代に入ると、ベトナム戦争石油ショックなどの様々な問題が起こり、日本に暗い空気が流れました。それに伴い、60年代に吊り上がった目元が、シャドーによりタレ目風になり、眉は細くなり、退廃的な雰囲気が主流となったそうです。

 

【1970年代後期~1990年代初期/日本美の再認識・女性の社会進出】

 1970年代後期には、日本人デザイナーがパリコレで認められ、西洋人のようになりたいという流れから日本人固有の美しさを見直すようになりました。1980年代になると景気も上昇し、キャリアウーマンブームを迎えました。薄く細くなっていた眉が、一気に濃く太くなりました。

 

【1990年代後期~現在/空前の美容ブーム到来・日本独自のトレンド形成・進化】

 1990年後半から茶髪・細眉・小顔メイクで美容熱がヒートアップしていきました。ファッションもギャル系OLエレガント系など細分化されるようになってきました。2000年代になると、ヘアやまつ毛エクステ、ジェルネイルなど、化粧品だけで表現できない領域にまで手を伸ばし、空前の美容ブームが広がりました。そんな時、東日本大地震という大きな出来事により分岐点を迎えました。自分にとって本当に必要なものは何か見極め始め、一気に肩の力が抜けナチュラルに転向しました。癒しを求め、涙袋メイクやのぼせチーク、明るいカラーの口紅を使用し、2010年には色戻りの時代となったそうです。

 

【鈴木節子さんの結論】

 景気が良くなると、明るいカラーの口紅や太眉が流行し、凛とした元気なメイクアップが流行する。逆に景気が悪くなると、細眉になり冷めた表情のメイクアップが流行する。天災や情勢不安があるとメイクアップが、ナチュラル回帰する。

 2010年代中期には、口元に色が戻り太眉の傾向が見られたため、景気の上向き傾向や好景気への期待がメイクアップに表れていると分析していました。化粧が世相を反映していると結論づけていました。

 

長くなりましたが、知らず知らずのうちに、社会情勢が化粧に影響を与えているということを初めて知りました。最近は少しコロナが落ち着いてきたということもありますが、緊急事態宣言が出ていた頃は、細眉や冷たい表情のメイクアップが流行していたのかもしれません。この記事を読んで、明るい日本を取り戻すために、明るい色を使ったり太眉にしようと思いました😌

 

一人のモデルの方に各時代のメイクをされていたので、気になる方はぜひ見てみて下さい😊

日本女性の化粧の変遷100年|資生堂ヘアメイクアップアーティスト